できの悪い正義の話をしよう
一人の太っちょを突き落として暴走列車から5人の作業員を救え
マイケル・サンデルの白熱教室やら「これからの正義の話しをしよう」とかで出てくるこの思考実験。Twitterのタイムラインで4コマ漫画の画像を見て思い出した。
3コマ目、一瞬でこの発想が出てくるこいつ怖いわ。 pic.twitter.com/g28TQMfZIu
— ダ・ダ・恐山 (@d_d_osorezan) 2014, 1月 26
「あなたは線路に架かる橋の上にいる。むこうからブレーキの壊れた電車が暴走してくる。電車の行き先には5人の作業員がいて列車には気付かない。あなたのそばには大柄な人がいて、この人を列車の前に突き落とせば列車は止まる。あなたはその人を突き落とすべきか否か。」
という設問。
私、大嫌いなんですよ。この例題のあまりのできの悪さが。
政治的な物事を考えるときに、比喩を用いるのは常套手段だし、物事の理解を助けるよいテクニックではあるんだけど、たとえるネタがへたくそだったら、弊害の方が極端に大きくなる。故意にやれば詭弁になるし、過失でやれば誤謬となる。比喩って軽々しく使っちゃいけない劇薬なんですよ。
この思考実験でやりたい事は、「故意に少数を犠牲にして多数を助けるのは正義か否か。」という命題。
これに対して暴走する電車に太っちょを轢殺させて止める話はあまりにも出来が悪い。
この例題の話は、明示していないものの、以下のようなありえない条件を前提にしている。すなわち、
- あなたが何もしなければ列車が作業員のところまで「必ず」暴走して、「必ず」作業員を轢殺することになる。その未来を疑ってはいけない。あなたは完璧に未来を予測できる神のような能力を持っているのである。
- 列車を止める手段は、そばにいる太っちょを列車の前に突き落とすこと。他の手段はないし、太っちょごときで暴走する列車止められるはずはないなどという物理的な齟齬は一切考えちゃいけない。
- もちろん、列車を止めるくらいの太っちょにぶつかった列車は脱線することもないし、列車の中の乗客にも一切被害はない。
- この設問は情報が足りない?足りない情報で考えなさい。それが正義だ。
もうね、おまえどこの新興宗教ですかと。
なにより、自分で考え抜くことを求められる問題に対して、設問のデタラメなところを問いただしてはいけないなどと、一方では考えることを禁止しては、考察がやりにくくて仕方ないことになるだろう。
ならどのような例題を用意すべきか
太っちょ列車に近い条件で考えるのなら、
「あなたは対テロ対策の責任者である。今、大勢を人質に取って立てこもっているテロリストがいる。テロリストは爆弾を体中にまきつけていて、彼を殺すと人質が大勢巻き添えになる。また、一定時間が経過しても爆弾は爆発し、人質は全員死亡する。テロリストの隣には起爆装置を埋め込まれた人質がいて、その人質をあなたが殺せば起爆装置が壊れ、テロリストを安全に取り押さえることができる。爆発の時間は迫っている。スナイパーは既にテロリストと人質が見える場所に配置されているが、起爆装置を埋め込まれた人質を殺すべきか否か。」
という話になるだろう。ずいぶん回りくどいテロリストだが、彼はアクション映画の見すぎでこんな仕掛けを思いついたのだと解釈してほしい。
この設問ならとりあえず、
- 無実の人間を殺す以外に大勢を助ける手段がない。
- しかもその人は自分が犠牲になることに納得していない。
- 生殺与諾件は回答者にあり。
- 元凶の破壊が不可能。
- 第3の道を考える余裕が与えられていない。
という条件を満たすことができる。