k3の駄文録

ドーでもいいことを書いています。

別にトリコロールでもいいんだよ。ただ寂しいだけ。

Facebookに半透明の青白赤が並ぶようになった。

大きな事件や事故で犠牲者がたくさん出た時、追悼の言葉がSNSやブログにあふれる。

情けないことに、私は見ず知らずの誰かが犠牲になったことに対して悼む気持ちを持つことができない。例えばその事件についてブログに書くとき、社交辞令で追悼の言葉を書くことができない。かわいそうにとか気の毒に、と思うことはあっても、追悼というほど重い気持ちにはならない。それができる人たちには敬意を抱く。

Facebookトリコロールをかぶせている知り合いは、そういうことができる人たちだ。決してボタン一つでお手軽アピール、なんていう軽い気持ちの人はいないだろう。

だからトリコロールカラーにした人たちを批判したいとは思わない。

世界中のいろんな施設が青白赤にライトアップするのに対しては、勝手にやってろ的な無関心を決め込むつもりでいる。

200人どころか4000人余りが犠牲なった911の時ですら、同じ日本人に犠牲があったというのに、他人事にしか感じられなかった自分に、困難に直面したパリの人たちを励まそうとする人たちに何かを言う資格なんてないだろう。

 

ただ、今回の同時多発テロはフランスだけじゃなくて、レバノンでも起きていた。それを知ったのはフランスのテロに関連して、レバノンでも起きているんだよってツイートを見たのが最初だ。

きっと、フランスのテロがなければ、レバノンで200人以上も殺されたことを、全く知らないままで終わっていただろう。もしかしたらちらっとニュースで流れるかもしれないけど、やっぱり他人事で今回も終わっていたことだろう。

 

最近、世界で大きな事件が起きてもテレビなどのニュースで知ることができなくなってしまった。最初に知るのはツイッターだ。航空機事故の時もそうだったし、もう何か月も前から中東で日本人ジャーナリストが行方不明になっているって話は、いまだに日本のマスコミでは報じられていない。

今回のフランスのテロも、日本のマスコミが報じたのはツイッターの情報から何時間も遅れてのことだ。911以来のかなり大きな事件なのに、と違和感を持った。

 

ショックを受けたのは、レバノンでもテロが起きてフランス以上に犠牲者が出ているという事実だった。この時の違和感は、自分に対してのものだ。ああ、自分は頭では中東の問題を知っていても、全然分かっていなかったな、知ろうともししていなかったなと。

正確には、ちょっとは知ろうとしていた。ISに2人の日本人が殺されたあたりから。ろくに英語読めもしないのにアルジャジーラツイッターアカウントをフォローして、多少なりとも中東の空気を知ろうとはしていた。

でも、いつ戦闘に巻き込まれるかわからない、空からISと間違われて打たれたり爆弾撃ち込まれるかわからない、なんて怖さは全く想像がついていなかった。

 

パリで乱射、爆発のテロが起きて、その不安を少しだけ感じることができた。先進国で自分と同じように毎日を送っている人たちが、何の前触れもなく乱射や爆発に巻き込まれる。それを今の自分と重ね合わせることは、どんな生活をしているのか想像もつかない中東の人たちと自分を重ね合わせるよりかは簡単だ。

安保法案が通ったことで、日本も米軍の中東での作戦に参加するようになれば、パリの状況と同じように狙われるだろうという予測はしていた。その脅威が具体的には、今のパリだ。他人事ではない。

そしてもう一つ。

先進各国の首脳が、パリでのテロ事件に迅速に反応して声明を出した。ただ、ベイルートのテロ事件については、何か言ったかもしれないけど報じられてない。言ってないのかもしれない。それでも、同時に起きた2都市のテロ事件で、先進国のほうだけ大きく取り上げられて、より深刻な中東のほうは完全に無視しているかのような状況にショックを受けた。Facebookトリコロールプロフィール機能も、もう一つの被害都市をシカトしているようで、それをやっている人たちにそんな気がないことはわかっているけど、少し寂しい。

どんなひどい状況になっても顧みられることのない中東の状況が、沖縄と被って見えた。そっちにはそう反応するんだ、っていう不条理さは、ずっと沖縄でも感じてきたことだ。だからこっちのほうも他人事ではない。

 

今回の事件でようやく、自分と、欧米と、中東とで、濃淡強弱あれど同じ不安を抱えている人たちとして少しだけ感じることができるようになった。

それを少し敷衍すれば、中東だけではなくアフリカなどで内戦中の国の人たちもまた、それ以上の恐怖にさらされていることが想像できる。今まで、こんな不条理でどれだけの人が犠牲になったのだろう。

 

どうすればよいのかは分からない。ただ、理屈ではなく感情として、少しだけ不条理を共感した今、まずはこの酷い世界の戦争や弾圧で命を奪われた人たちを追悼したいと思う。でもどうすれば、中東の人たちが平穏に暮らせるようになるのか、まだ見当がつかない。