k3の駄文録

テキトーに書いています。

他責思考とか自責思考とか経営とか

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いや、自責思考って人が死ぬから。そんなもんを標榜している時点で人の道踏み外してるよ。

 

そもそも会社経営とか労働って、自責とか他責なんて区分で責任を押し付け合うようなものじゃないわけですよ。この2つで話をしている時点で大間違い。

 

会社組織に求められる責任と言うのは他責と自責ではないんですよ。誰だこんなバカなことを提唱し始めたのは。

会社組織における「責任」は、「アカウンタビリティ」と「レスポンシビリティ」の2つ。適切な日本語に訳すと、「結果責任」と「行動責任」。アカウンタビリティは「説明責任」ではないからね。説明責任ってのは盛大な誤訳。結果責任を取る際にやるべきことの一つが説明ってだけの話。

 

で、「行動責任」ってのは部下に求められる責任。与えられたミッションを完遂するために行動する責任。ベストを尽くせってやつ。結果が伴わなかったとしても、それは部下の責任ではない。「ミッションに失敗したから、担当者はクビね。」ってのは間違い。それは結果責任を部下に転嫁しているだけ。

部下をクビにしていいのは、報連相を怠ったとき。なぜならそれは行動責任を果たしていないから。

 

一方の「結果責任」は、上司に求められる責任。ミッションに失敗したときにクビにすべきなのは結果責任を負う上司の方。

上司は結果を出すために部下のリソースを適切に、戦略的に使わないといけない。組織のミッションなんてのは部下一人で実現できるわけないんすよ。できるというなら、それ会社組織である必要ないじゃん? 一人で全部できないから組織でやってるんでしょ。

だから、ミッションの成否に責任を負うのは、上司。そのための権限と組織の資源が与えられているのだから、成功させることができるのは上司でしょと。だからその結果に対する責任は上司にある。

 

会社組織の運用ってのは他責や自責じゃなくて、責任の分担なんですよ。そこには他責も自責もないでしょ?

 

自責が正義? まさか。自責/他責思考論がやっているのは、責任の分担ではなく分断ですよ。

 

大体、自責ってのは自分の役割の範囲内での自責でしょ? するとどうなるかというと、誰の役割でもない仕事は誰もしない。零れ落ちる。当然、組織のミッションは失敗する。

 

ん? そうじゃない? 誰の役割でもないものも抱えるのが自責?

それって抱えた人に仕事を押し付けてるだけでしょ。すごく無責任だよね。その時点で、「自責」は崩壊しているよね。

 

何言ってるか分からない? んじゃこう言おう。

自責だ他責だという区分において、「誰の役割でもない仕事」を遂行する責任は誰にあるんですかと。それに気づいた人? バカですか? あなた今責任を気づいた人に押し付けたよね。それはあんたの言うところの他責だろ。

「気づきませんでした」って言えば、取らなくていいんだよね。その責任。「気づいた人がやらなかったのが悪いんです」っていうんだよね? ほら、他責。いや、無責任の温床。

 

責任を行動と結果で分担していれば、誰も気づかなかった結果に対して、誰が責任を取るべきか分かるよね?

そういう分担が自責/他責論にはない。だから分断。結果に対する責任を誰かに押し付けないと成立しない。重大な欠陥、欠落がある。

 

結局、他責自責だという区分自体が、机上の空論なのよ。

 

責任を取りたくない誰かが、自分の責任を他人に押し付けたくて発明した屁理屈、それが「自責思考」。動機が不純なんだよ。

だから責任転嫁できそうな匂いを感じ取ったバカ経営者が飛びつく。ホント誰だよこんなペテンの概念提唱したの。