k3の駄文録

テキトーに書いています。

子どもの勉強がはかどるための大体1つの方法。

タイトルの日本語がおかしい気がするが気にしない。

 

うちの子は、僕が宿題を見てやると「ぱぱっと終わる」と言う。「なんでかなー?」と。

理由は分かっているのだが、それは大人の側の問題だから説明したところで仕方ない。というか、そこで客観的な視点を持った結果、お前のやる気がなかなか出なくなったりすると困るのだよ。ということで、「なんでかねー?」と返事をした。大人はみんなうそつきだ。

 

さて、子供に勉強、あるいは宿題を促すとき、親に必要なのは「待つ」忍耐力だと思う。

我慢じゃなくて、忍耐と言うレベルの精神力が要求される。

 

家にいるとき、子供は基本的にヒマである。なので、「遊ぼー?」と大人の都合に構わず聞いてくる。で、そのタイミングで「あんた宿題は?」と聞くところからバトル開始である。

ありがたいことにうちの子は結構素直な上に勉強することに対する抵抗が比較的少ない。低学年だからかもしれない。そんなわけで宿題をやる準備をさせるまではスムーズに行ったりする。まあ、ヒマなタイミングで水を向けているせいかもしれない。

 

で、基本的に子供ってのは親がそばにいるだけで勉強がはかどる。横で自分の仕事をしていてもはかどっている様子なので、そばに親がいるだけで、多分安心するのだろう。

自分を思い出しても、小学生だった頃は子供部屋の勉強机よりも母親が夕の支度をしている台所のテーブルの方が、宿題ははかどっていた。

 

で、子供のヒマにかこつけて机の上に宿題を広げさせたところですぐにやる気がわくわけではない。エンジンがかかるまで、時間がかかるものなのだ。やる気のエンジンをかけるのには、親が手助けしてやれる。

宿題の問題を特に至るまでには、次の工程がある。

  1. 今日の宿題の内容の確認。
  2. どれから始めるかの決定。
  3. 該当するプリントなり教科書、ノートを広げる作業。

そこで、これらの各段階を、子供に声かけをすることによってクリアーする。

「今日の宿題、なにが出てる?」

「どれが先がいい?」

「んー、プリントなの? どんなの?見せてー。」

と。

子供に確認するのではなく、「教えて」という形で聞く。すると子供は自分がやるためではなく、親に状況を教える=会話するためにこれらを用意してくれる。自分のためじゃなくて、人のためならやる気が沸くってモノですよ。

で、気がつけばあとは鉛筆を持って問題を解くところまで工程が進んでいると。

 

ここから先、親はひたすら待つ、耐えることになる。

子供の思考ペースは遅い。小学校低学年だと特に、「問題文」という「日本語」の処理に大人の数倍、時間をかけることになる。幼少時の読み聞かせとかをたっぷりやると子供は本の虫になるそうだが、残念ながらうちはそれに失敗してしまったのか、本の虫にはなってくれなかったので日本語の処理には時間がかかる。

算数でも何でも、まずは「国語力」が大事なわけで。小学校低学年だと、「国語力」は未発達なのですよ。

僕は結構本の虫だったけど、算数の授業に出てきた「足す数」と「足される数」の意味がさっぱり分かりませんでした。この世に生まれて6、7年程度だと、そんなもんですよ

 

そんなわけで、子供が問題文を読んで日本語を処理して問題を解く段階に至るまで、ひたすらに待つ。

ただ、やる気のエンジンがまだ十分にかかっていない場合、そもそもプリントを眺めているだけで、問題文を読んでいない場合もある。その状態の子供にとって、目の前にあるのは、やらなきゃいけない「宿題」ではなく、ただやりたくない「めんどくさいもの」でしかない。

子供のやる気の状態を見るためには、目線とかをそれとなく観察する。問題文のほうを一度も見ないまま、答えを書く欄のほうをぼんやりと見ているとか、問題文を読み直している様子がなければ、「面倒くさいもの」を眺めているだけの可能性が高い。

その場合は、「問題読んでー」と声をかけて、問題文を音読させます。

そうすると、「めんどくさいもの」から「宿題」に少し意識が近づきます。

 

問題文を読ませると、やっと問題を考える段階に来るのですが、「ん”ん”~!」とか唸ってグデグデしたりすることもあります。まだやる気のエンジンがかかっていません。その場合は「難しくない難しくない。簡単だよー。」と軽い感じで言って洗脳します。

洗脳します。

大事なことなんで2度言いました。

人は、「これは難しい」と思うと、考える気力が減ります。「ちょっと考えればクリアーできる簡単な問題」と思うと、頑張って考えます。そのため、「この問題は簡単だ」と言うことによって「じゃあちょっとだけ頑張って考えてみよう」と思わせるわけです。

 

実際、子供の宿題なんてのは学校で習った範囲の話なんで、授業では分かってなくても、そこで習ったと言う事は覚えていたりします。ちょっと考えて分からなかった場合、「教科書のどの辺だった?」と聞くと大体該当する場所を教えてくれます。

そこで例題を解かせてみたりして、解き方を復習させる。で、プリントの問題を解くと。ま、子供の気力が乏しい場合は仕方ないんでプリントの問題で解き方を教えたりとかもするわけですが。

 

1問解ければ、エンジンかかるんで、あとは子供が問題を解くのをひたすら待つ。黙って待つ。「黙って」待つ。

問題を解くのに時間がかかっていても、横から教えようとしない。

特に大事にしていることは、間違いに気付いても、問題を解き終わるまで黙っていること。

問題を解いている最中に、「ここ違うんじゃないの」と指摘してしまうと、自分で考えなくなります。

間違った瞬間に横で親が修正してくれるのだから、自分で考える必要などありません。本当に間違っているのかどうか自分で確認しようと考え込むと、怒られる。だから、自分では考えず、横から「間違っている」と言われると、即座に今考えている過程を全部放棄して、自分の書いた答えは即座に消す。処世術としてはこの上なく正しい反応なんですが、勉強の観点からは好ましくない。

なので、僕の場合は解いている途中に「合ってる?」と聞かれても可能な限り答えません。

全部解き終わってからチェックをし、間違った問題を示す。どこで間違ったかは自分で考えさせる。

最後まで辺りかどうか分からない、と言う状況に慣れてもらわないと、普段の勉強やテストの際、不安で先に進めなくなります。

 

子供の勉強をはかどらせるための大体一つの方法と言うのは、この「黙って待つ」こと。言うのは簡単ですが、横で遅々として進まない子供の様子を見ながら待つのは結構大変です。母親なんかを見ていると、大体教えて5秒くらい子供が考えっぱなしだと、説明を畳み掛けています。5秒なんて短い、と思うかもしれませんが、人間は何十秒も待てる生き物ではない。エレベーターのボタンを押して、5秒後にはもう、「遅い」と感じるのが普通の人の感覚です。その感覚では、子供の思考を待つことは困難です。

子供の思考が今どのくらいまで進んでいるかなー、と想像しながら、最低でも2,30秒は待たないといけない。この間ヒマでしょうがないので横で意味不明の踊りを踊ったりして気を紛らわせながらひたすらに待つ。

 

まだるっこいかもしれないけど、そうやって子供のペースで考えさせると、スムーズに勉強が進みます。子供が考えている最中に横から口を出すと、子供は考えることを中断させられてフラストレーションが溜まります。その結果、とにかく横からギャンギャン言われる苦痛から開放されたいがために、よく問題を読まず、よく考えずに答えを出そうとして、間違えて、また怒られて、を繰り返します。これで通常の3倍は時間がかかり、しかも身につかない結果に陥ってしまう。

 

子供が自分で考える、と言うのは、とにかくもどかしくてしょうがないことが多いです。一度、算数の宿題で、答えの書き方を間違っていて。ちゃんと問題文を読めばどう間違えたのかはすぐに分かるはずなのですが、あまり集中力の内情体だったのでぜんぜん気付いてくれない。とにかく、「問題文をよく読んで、答えをどう書けばよいのか考えて。」と言って、あとは待つ。

とりあえず、その子の国語力では問題の意味を理解できるという確信があったからとにかく、待つ。

 

で、終いに子供のほうは問題文を理解しようと、ノートに問題に出てくる数を、丸で書き始めた。全部で80個くらい。

間違えているポイントからすると、そんなことをする必要は全くないのだけど、とにかく待つことにした。というのも、その子がやっていることは、「問題文から状況を想像する」という、数学で一番大事なことだったからです。それも、自分が納得できる、最も確実な方法で模索しているわけで、これも数学を身に付ける上ではこの上なく重要なプロセス。これを途中でやめさせるわけにはいきません。

待つこと3分。丸を描いて、問題文を読み返して、を何回か繰り返して、ようやく意味を把握して、正しい答えにたどり着きました。

子供のほうも結構疲れた感じだったけど、ちゃんと、「問題に○○って書いてあったから」と、自分がどこで間違ったのかを完全に把握して、自分の言葉で説明できたので、この日の勉強はもう十分だろうなと。

 

とまあ、こんな具合に、「子供のそばで、とにかく待つ」というのが、子供が宿題なり勉強なりを効率的に進める上では、一番大事なんじゃないのかなぁ、と思う次第。

 

子供が親に頼るのも、低学年の今の時期しかないんだよなぁ。