k3の駄文録

テキトーに書いています。

これって校長が現場を把握していないってことかな

炎上しているこれ(以下、引用部にある太字は私によるもの)

media.housecom.jp

三郷市立彦郷小学校の鈴木勉校長によると、データベース化を行うことによって、児童ごとの読書傾向を学校側が把握できるようになり、今どんな本を読んでいるのか、あるいは1ヶ月で何冊の本を読んでいるかなどを的確に把握できると言います。

そしてそれらのデータ資料を担任の先生に配布することで、個別指導を行ったり、時にはオススメの本を推薦することもできるのだそうで、このことに関して鈴木校長は次のように述べていました。

「『本を読みましょう』とクラス全員に向かって訴えても、なかなか効果は期待できません。それよりも、一人ひとりの読書傾向を先生が理解した上で指導すれば、児童の読書意欲も随分と上がってくるんじゃないでしょうか。」

 これが図書館の自由宣言に抵触するということで問題視されたわけですね。

図書館の自由に関する宣言

 読者が何を読むかはその人のプライバシーに属することであり、図書館は、利用者の読書事実を外部に漏らさない。

 図書館の自由宣言とか今回初めて知りましたよ。

ちなみに、

一方で、彦郷小学校では児童の読書量が増えるに従って、自分が好きな本ばかりを読むなど、児童たちの読書傾向が偏るようになったため、その対策として「読書ビンゴ」を導入しました。

media.housecom.jp

という記述もあったので、私はこの学校が読書傾向の偏りを問題視して読む本を指導しているんじゃないかと思ったわけです。それ憲法内心の自由とか侵害してないかと。

第十九条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

e-Gov法令検索

自分も子供のころは大量に本を読んでいたけど、基本的に好きなジャンルに偏ってたんですね。好きでもないジャンルの本を読むのを強制されたら、苦痛でしかないよなあと。

国語の授業で詩を習った時に「図書館で好きな詩人を見つけてきて」という課題が与えられて、おかげで会津八一という詩人のスタイルに出会えたので、ジャンルを分散させる指導ってのも悪いことばかりではありませんが。つかそのくらいなら国語の教科書にある分だけでもよくね?私が最初に会津八一を知ったのも教科書だもんね。(全部ひらがなだから気になってた。図書館で本を借りてその作詞スタイルが好きになった。)

私は図書分類2号7号8号はほとんど読まなかったのでそれ強制されたらいやだなあと。

それに、ある期間に読む本って普通に偏るんですよ。一時期推理小説ばかり読んでましたし。マイブームの真っただ中にいるときに横から水掛けられても迷惑だよねと。

 

 

で、無事炎上したところで続報が入りました。

「担任に伝わる情報は、それぞれの本の貸出回数と、そのクラスの各児童がどれくらい本を借りているかといった数値だけです。児童が読んでいるジャンルや本のタイトルなどの具体的な内容は伝わっていません」 

「個別指導というのは、貸出冊数が極端に少ない児童に『できるだけたくさん本を読もうね』『頑張ろうね』などと声をかけることです。読む子は放っておいても読みますが、読まない子はまったく手に取らないので」

「市が決める『三郷市おすすめの本100冊』というリストがあります。卒業までに読もうね、と推奨されている本のリストなのですが、その中からこれはどうか、と勧めています」

news.careerconnection.jp

鈴木校長は、「読書傾向を把握、というのは私の言い過ぎだったと思います。誤解を招いてしまって申し訳ないと思いつつ、どのように訂正をしたら良いのか……。方法を検討しているところです」と話していた。 

 とのこと。

なんか元記事に書いてることと随分かけ離れてますねと。悪意を持って見れば、

「その弁明、矮小化しようと嘘ついてない?」

って思ってしまいます。特にここのところ。

一方で、彦郷小学校では児童の読書量が増えるに従って、自分が好きな本ばかりを読むなど、児童たちの読書傾向が偏るようになったため、その対策として「読書ビンゴ」を導入しました。

media.housecom.jp

よくよく読むと、「お前これ読め」みたいな話じゃないんですよね。異なる文脈の話をこちらが無意識に関連付けてた。まあ、記事の文脈からはそう受け取りやすいという話でもあります。

 

これ、ライターが適当だったのかというと、そうでもなかったようで、

とのこと。

 

まあ、市役所が学校現場の指導の内容を知っているわけないし、また市役所の担当者も私みたいに図書館の自由宣言とか知らんかったんだろうなと。

で、図書館司書は多分図書館の自由宣言を知っていると思うので、たぶん私らが懸念したような指導が行われそうになったら抵抗すると思うんですよ。最近は図書館司書の地位が不当に低く扱われててどれだけ意見ができたのか、意見が通るのかという心配はありますが。

 

で、この問題、たぶん校長が現場をろくに把握していなかったってことなんじゃないかと思ってます。

この記事、現場の教師の話も子供の話もないじゃないですか。現場の教師がチェックしたら、「いやいや、子供が何読んでるかなんて把握してないっすよ」ってなってたのではないかと。

まあ、実際のところどうなのかは、現場の司書、教師や子供たちへの取材結果がないと分かりませんわな。

 

この炎上のおかげで関連する情報がいろいろ得られたのは良かったと思います。

http://www.jla.or.jp/portals/0/html/jiyu/yamaguchi_s_20131122.pdf

この問題を他山の石としてみるならば

記事を書くライターが図書業務に明るい人であれば、取材時点で問題を見つけて学校による児童への思想信条への介入、という視点から取材を深められたんだろうけど、実際はど素人だった。

また、取材を校長のみで終わらせてしまって、現場の声は聞かなくてもいいやと記事をしたためてしまった。現場の教師がこの施策にどのような手ごたえを感じているかなどを取材していたら、記事はさらに深いものとなっていたはず。考えてみれば3流週刊誌でも周辺の人たちへの取材はかなりやっているよね。

関係する人たちへの取材というのは重要なんだなというのが分かります。

この視点で問題の記事を眺めてみると、街や学校の写真などでそれっぽく整えてはいるものの、実際にはこの記事は校長へのインタビューしたレポートに過ぎないのではないかとも思えます。

(他にも「本を読まない」という問題提起に使用している情報も実際には「Webや電子書籍は読むが、紙の本を読まない」という話でしかないなど、粗が目立ちます。質的には個人のブログと大差ないのかなと。)

 

Web屋をやっていると、記事を書くことも多々あるわけですが、「これ実は違法だったり問題だったりしないだろうな?」という点にはかなり気を使います。関連情報を調べていると、あまり公にはできないなという場面にも出くわします。

文章を書くことは誰にでもできるけど、何かを取材して書く、ということは軽々しくできるものではないのだなと。この辺、デザイナーの仕事が簡単そうに見えて実は大変というのと通底するものがありますね。