k3の駄文録

テキトーに書いています。

エスカレーター問題

「エスカレーターの片側は意足人ように開けるのがマナー」vs「エスカレーターは止まって乗るものです」

ま、現在の仕様としては「歩くな走るな」「人が片側によると壊れるから勘弁して」ってことなんだけど、メーカーのエンジニアだったら、「よし、片側に荷重がかかりすぎても壊れないように頑丈にしよう」って考えると思う。

現状、1ステップに2人乗って、全ステップに人が乗ると重量超過で逆流したりするのは設計が悪いと思う。それなら1ステップには1人しか乗れない幅にすべき。それだと多分見栄えが悪いと顧客が思うかもしれないので、1.5人分の幅とかそんな感じで。ただ、例の案件は乗り込み率100%で長時間の運転はできない、という問題らしいけど(参考)。

「エスカレーターを歩くのは危険」というけれど、僕の印象では混雑した階段も十分危険。以前混雑する階段を下りていて、目の前の女性が足を踏み外して前転してしまったのを見たことがある。超痛そうだった。手すりもない階段の真ん中で、足元が見えない階段ってのも大概危険やで、と。

エスカレーターで特有の危険となると、ステップの段差が階段より大きいことと、止まっている人と速足で抜けようとする人の速度差に起因するものなのではないかなと思う。それは特に下りの場合、止まっている人に衝突するのは階段を突き落とすことと同じであり、ほとんど殺人行為といっていい。

その点を考えると、エスカレーターは歩いてはいけないもの、なのだけど、そもそも、エスカレーターを歩いて登るのは、そのデザインが階段と同じで、階段の機能をアフォードしているから。エスカレーターが今の形のままでは、人は歩いて登るという選択肢を捨てることはしないだろう。

どうしても歩かせたくないのであれば、段差を大きくすればよい。4~50㎝も足を上げなければならないような階段を登ろうとする人はほとんどいないだろう。傾斜が急になると怖いし危険になってしまうから、その分ステップの奥行は長くする。

いっそ、ステップの奥行と段差をそれぞれ3倍してしまえば、車いすも利用できるし、段差は60㎝を超えるだろうから、歩いて登る人いなくなるだろう。1ステップに立って乗る人数は通常なら4人程度になるだろうし、それなら現在の連続運転の条件で耐えられるはず。もう一歩踏み込めば、1ステップに6人乗るのをやりにくくするように、ステップに田の字の線を引いて最大4人というのをアピールするとよいのではないかと思う。もう一歩踏み込んでデザインするなら、ステップの淵側の3分の1は登り側に数度傾斜を持たせて立ちにくくする&車いすが落ちにくいようにするとよいのではないかと。

あとは、歩く人は急いでいるわけで、歩く人が多いということは、それだけの需要があるということ。ならば、幅一人分で、高速、かつ段差が通常階段レベルの「歩く人専用エスカレーター」を作りたくなるよね。

 

そんなことをロンドン地下鉄で実験した「エスカレーター輸送効率」のシミュレーションに「日本でも徹底周知すべき」「このモデルは日本では適合しない」などの意見殺到! - Togetterまとめを見て思ったのだけど。

たださあ、東京とかで働いてる人たちって、移動時間切り詰めすぎじゃない?そりゃ電車が時間通りに来るから分からないでもないけど、全く「遊び」がないじゃない。移動中まで気ぃ張りつめてないと、約束に遅刻するぎりぎりを狙うとか、僕にいわせりゃ正気の沙汰じゃないんだけど。

そのうち、下り専用で滑り台作るようになるかもね。

Windows10へのアップデートを嫌う人たちがよくわからん

君らつい先日までWin8系統をぼろくそに言ってなかったっけ?10が出て以降、8.1で十分とかよかったとかいうのはネタなのか釣りなのか。

まだWin7から動きたくないって人は、XPっぽいインターフェイスに固執しているだけのような気がする。それなら8系のほうがよほど使いにくかった。10でもコントロールパネルが見つからなくてイライラするのは最初のうちだけ。

XPから7に切り替えた時点で、ソフトやシステムの面ではXPとie6の呪縛から解放されていると思うのだけど。

個人情報云々を言い訳にする人たちに至っては正気を疑うレベル。MSが個人情報を収集しているに違いない!だから変えない!なんてアホだよなーと。そんなのはXPの時代から変わってないと思うが。最新のもののほうがセキュリティ面で堅牢なのにそっちに行かないというのは、MSに情報とられるのは嫌だけど、犯罪組織に個人情報抜かれるのは構いませんって言っているようなものじゃない?バッカじゃねーの、と。情強気取りは意識高い系より痛々しい。

 

アップデートを強制してくるのが嫌だというのはわかる。お前ドライバとかソフトとか、10で動かないのがあってもそれを無視してアップデートするんじゃねえと。人の財産破壊すんなって話だからね。10にすると、借りてきたDVD再生できなくなるからね。

 

それでも、Win10は最後のOSとして、PC本体が壊れるまでサポートするという方針になっているわけで(いつまで続くかわからんけどね)。これでPCの買い替え負担から逃れられると思うと、アップデートしない選択肢はない。

使いやすさの点でも、Windows8/8.1に比べたらずっとWin7に近くてわかりやすい。

それに、デフォルトでセキュリティソフトが入っているのでその点の負担も少ない。もっとも、10にしたときに使っていた市販のセキュリティソフトを勝手に無効にされたのにはカチンと来たけど。

 

Windowsの強制アップデートが気に入らないからという理由でMacだのLinuxだのに乗り換える!という人たちもいるようだけど、まあ、Linuxに行くってのはどうせ挫折する(とはいえ使ってて面白いけどね)。趣味で使うにしたって、DVDの再生一つとっても手こずるし、ゲームも少ないし、Gyaoあたりの動画は閲覧できないし。LibreOfficeはMSOfficeの代わりにはならないし。

Linuxにてこずっている間にWindows10への無償アップデートの期間が過ぎて、結局Windowsに戻そうとしたときに泣くだけなんじゃないのかなあと。

Macに至っては、Windowsよりもえげつない商売しているわけで。中国製のボロいコードですぐに被覆が破けてぼったくり価格のACコードを買い替えたり、外部モニターを使うにも出力端子が独自規格だからこれまたぼったくり価格で純正品を買わなきゃいけなかったり。安く済ませようと互換品を使うとMacのほうで「これ純正品じゃないから使えないようにするね。」とブロックするし。

MacOSもWindows10同様、アップデートは無償のことが多いけど、数年前の機種はアップデートできないようになっているから、数年おきに本体ごと買い替えさせられるのよね。ノートだとほぼ100%の確率でバッテリーが膨れ上がって本体を壊す。ソニータイマーは都市伝説だけど、Apple地雷は現実。

で、周辺機器は使えるのかというと、これまた規格をコロコロ変えるので古い周辺機器を流用するってのができないようになっている。

Appleのえげつなさを知っていると、MSのほうが100倍まし。

 

どうせいつかはアップデートしなきゃいけないんだから、いつまでもゴネてないでさっさとアップデートして使い慣れたほうが楽だぜー、って話。ゴネ得なんてないんだから。

はてなブックマーク - 痛いニュース(ノ∀`) : 梅沢富美男「ハンバーガー40個」 店員「食べて行きますか?お持ち帰りですか?」 梅沢「状況判断できないのか!」 - ライブドアブログ

本文読んでないけどタイトルだけで話終わってるし。

バイトの店員なんだし、マニュアル通りの対応に何の問題があるのかと。ていうか注文の後に「持ち帰りで」って一言添える程度のこともできないガキが偉そうに怒るなと。

 

でまあ、思い出したのが数百ページのサイトリニューアルの案件のデータ流し込みの仕事やったときのこと。

某大手企業グループの正社員のディレクターがですよ、元データの誤字脱字レベルについても「客先に確認しますのでそのままにしてください。」ってな指示を出してくるわけです。そんなん、先に直しといて、客先にはこことここ修正しましたよと事後報告すればいいじゃないですか。こいつはアホかと心の中で思いましたよ。決して言わないけど。

 

Webのお仕事は一時期オフショアにもってかれるとか言われてて、結局品質管理できなくて下火になってるけど、国内でもこのレベルのことやってると、オフショアと変わらないんじゃないかと。それに、誤字脱字までそのまま残しますなんてのは、それこそ機械にやらせたほうがいいわけで。

人工知能とはいえ、文脈の理解はまだ苦手なわけで、それを活かして効率的に仕事をすればいいものをわざわざ客先の許可を取ってから修正しますなんてのは、自ら機械以下にレベルを落としているわけで。その程度の仕事なら、早いとこ人工知能に仕事奪われてくれたほうが幸せになれるよね。

 

個人的にはこういう、統括する人が考えない、指示待ちに徹するなんてことは、どこまでもモノづくりのレベルが下がるんでやめてほしいと思う。

開発途中で退職したエンジニアの責任 東京地判平27.3.26(平26ワ12971) - IT・システム判例メモ

まあ当たり前なんだけど、経営の責任を末端の社員に押し付けるのは非常識よ、と。

この当たり前を分かってない経営者って結構多いよね。

自分も某派遣会社に登録した際、「過失による損害を与えた場合も賠償します」という内容の「身元保証書」なる書面の提出を求められて、「出さないよ」と蹴っ飛ばしたまま働いてますけどね。借金をするわけでも家を借りるわけでもなく、ただ仕事をするのに連帯保証人を用意しなきゃいけないって控えめに言っても非常識だよねと。そもそも大の大人に対して何だこの非礼極まる要求はと。

そういうこと要求する阿呆が、いるんだよね、世の中には。派遣先への影響があるからそういう書類は蹴っ飛ばしたまま働いてるけど、いずれこんな書類を要求するのはやめろというつもりだし、相手がそれにごねるようだったら労基署への通報も視野に入れているところ。

まあ、人であろうと組織であろうと、意識高い系の臭いを放っているところには近づかないほうがいいって教訓。

別にトリコロールでもいいんだよ。ただ寂しいだけ。

Facebookに半透明の青白赤が並ぶようになった。

大きな事件や事故で犠牲者がたくさん出た時、追悼の言葉がSNSやブログにあふれる。

情けないことに、私は見ず知らずの誰かが犠牲になったことに対して悼む気持ちを持つことができない。例えばその事件についてブログに書くとき、社交辞令で追悼の言葉を書くことができない。かわいそうにとか気の毒に、と思うことはあっても、追悼というほど重い気持ちにはならない。それができる人たちには敬意を抱く。

Facebookトリコロールをかぶせている知り合いは、そういうことができる人たちだ。決してボタン一つでお手軽アピール、なんていう軽い気持ちの人はいないだろう。

だからトリコロールカラーにした人たちを批判したいとは思わない。

世界中のいろんな施設が青白赤にライトアップするのに対しては、勝手にやってろ的な無関心を決め込むつもりでいる。

200人どころか4000人余りが犠牲なった911の時ですら、同じ日本人に犠牲があったというのに、他人事にしか感じられなかった自分に、困難に直面したパリの人たちを励まそうとする人たちに何かを言う資格なんてないだろう。

 

ただ、今回の同時多発テロはフランスだけじゃなくて、レバノンでも起きていた。それを知ったのはフランスのテロに関連して、レバノンでも起きているんだよってツイートを見たのが最初だ。

きっと、フランスのテロがなければ、レバノンで200人以上も殺されたことを、全く知らないままで終わっていただろう。もしかしたらちらっとニュースで流れるかもしれないけど、やっぱり他人事で今回も終わっていたことだろう。

 

最近、世界で大きな事件が起きてもテレビなどのニュースで知ることができなくなってしまった。最初に知るのはツイッターだ。航空機事故の時もそうだったし、もう何か月も前から中東で日本人ジャーナリストが行方不明になっているって話は、いまだに日本のマスコミでは報じられていない。

今回のフランスのテロも、日本のマスコミが報じたのはツイッターの情報から何時間も遅れてのことだ。911以来のかなり大きな事件なのに、と違和感を持った。

 

ショックを受けたのは、レバノンでもテロが起きてフランス以上に犠牲者が出ているという事実だった。この時の違和感は、自分に対してのものだ。ああ、自分は頭では中東の問題を知っていても、全然分かっていなかったな、知ろうともししていなかったなと。

正確には、ちょっとは知ろうとしていた。ISに2人の日本人が殺されたあたりから。ろくに英語読めもしないのにアルジャジーラツイッターアカウントをフォローして、多少なりとも中東の空気を知ろうとはしていた。

でも、いつ戦闘に巻き込まれるかわからない、空からISと間違われて打たれたり爆弾撃ち込まれるかわからない、なんて怖さは全く想像がついていなかった。

 

パリで乱射、爆発のテロが起きて、その不安を少しだけ感じることができた。先進国で自分と同じように毎日を送っている人たちが、何の前触れもなく乱射や爆発に巻き込まれる。それを今の自分と重ね合わせることは、どんな生活をしているのか想像もつかない中東の人たちと自分を重ね合わせるよりかは簡単だ。

安保法案が通ったことで、日本も米軍の中東での作戦に参加するようになれば、パリの状況と同じように狙われるだろうという予測はしていた。その脅威が具体的には、今のパリだ。他人事ではない。

そしてもう一つ。

先進各国の首脳が、パリでのテロ事件に迅速に反応して声明を出した。ただ、ベイルートのテロ事件については、何か言ったかもしれないけど報じられてない。言ってないのかもしれない。それでも、同時に起きた2都市のテロ事件で、先進国のほうだけ大きく取り上げられて、より深刻な中東のほうは完全に無視しているかのような状況にショックを受けた。Facebookトリコロールプロフィール機能も、もう一つの被害都市をシカトしているようで、それをやっている人たちにそんな気がないことはわかっているけど、少し寂しい。

どんなひどい状況になっても顧みられることのない中東の状況が、沖縄と被って見えた。そっちにはそう反応するんだ、っていう不条理さは、ずっと沖縄でも感じてきたことだ。だからこっちのほうも他人事ではない。

 

今回の事件でようやく、自分と、欧米と、中東とで、濃淡強弱あれど同じ不安を抱えている人たちとして少しだけ感じることができるようになった。

それを少し敷衍すれば、中東だけではなくアフリカなどで内戦中の国の人たちもまた、それ以上の恐怖にさらされていることが想像できる。今まで、こんな不条理でどれだけの人が犠牲になったのだろう。

 

どうすればよいのかは分からない。ただ、理屈ではなく感情として、少しだけ不条理を共感した今、まずはこの酷い世界の戦争や弾圧で命を奪われた人たちを追悼したいと思う。でもどうすれば、中東の人たちが平穏に暮らせるようになるのか、まだ見当がつかない。

R.I.P

聞いたことのある曲を作っていた人が亡くなったらしい。

全くファンとかそういうわけじゃないんだけど、ちょっと愕然としている。

「ルカルカ~」ってアッパーなユーロビートの曲と、亡くなっちゃったという事実のコントラストのせいだろうか。残念という思いと、せめて冥福を、と。

ふと、ボーカロイドが墓前で立ちすくんでいる情景が見えた気がする。

作り手によって魂を入れられたボーカロイド達はどうなるんだろうと。行き場をなくしてさまようような、あるいはストレージの楽曲の中に焼き付けられた幻影のようなものとして長い時間、その存在を伝え続けるのか。

曲を聴いたことがあるという程度の関わりで何を大げさなと思われるかもしれないけど、なんなんだろうね、この感じは。それだけその曲を気に入っていた、ということなのかもしれない。

他の作品も聴いてみるのは供養になるだろうか。持ち主を失ったアカウントのデータは、いつか消えてしまうのかもしれない。ネットは意外と情報が消える。それは自然なことで、むしろ永久に残るほうが不自然なことなのかもしれないけど、せめてそれを聞きたいと思う自分がいるまでの間は失われないように、手元に複製を残しておきたいと思う。冥福と、感謝の思いを祈って。

自分の色

を持っている人って、かっこいいなあ、って思う。

ニコ動とか見てて、「このつくりって、あれを作った人かな?」って思ってマイリス見ると確かにその人だった、とか、イラストでも、この絵柄はあの人、みたいな。

プロダクトにその人の個性が表れるっていうのは、安心感があるというか。

「こんなイメージのものがほしいから、あの人に頼もう」っていうのが成立するわけじゃない、安定した個性を持ったプロダクトを生み出し続けることができるってのは、すごくいいよなあって。

一朝一夕にできるものではないのだろうけど、自分の色ってどんなのだろうとか。

理想の形はあるけれど、それに自分の個性が乗るほど作りこめていないというか。

修行不足よな。