k3の駄文録

テキトーに書いています。

か知らん

はてなブックマーク - 語尾に「~かしら」と付ける男性について

あたしゃ最初にのび太をイメージしたよ。

すげー。いろんな調査があるんだね。

本稿では明治初年から現在までに発表された小説を用い、終助詞「かしらん>かしら」という語形変化の流れの中での男女の使用差を調査した。昭和前期頃に語形が「かしら」に定着するとともに、女性的な表現として定着していることが分かった。また、明治後期の男女の使用差を考察したところ、明治後期の作品では、女性の発話に丁寧体と共存して終助詞「かしら」を使用する用例が多く見られた。これは、直接的な問いかけや依頼を避け、柔らかな丁寧さを示しており、明治以後形成された発話の仕方における男女差の反映と見られる。小説の世界では、明治後期から「かしら」を使用する女性のステレオタイプが形成され、大正期・昭和期をへて、現在に至り「かしら」が女性的表現として定着してきたと考えられる。

CiNii 論文 -  終助詞「かしら」における男女差の形成--近代小説における用例調査を中心に

個人的には男性も普通に女性言葉使えるようになった方がありがたい。感情表現の幅が広がる。

日本の今のご時世、死刑を廃止したら、寿命で死ぬまで何もしないで生きられるからって大量殺人する凶悪犯が確実に出てくると思う。

死刑になりたいからって大量殺人する奴が出てくる現状と、果たしてどちらが良いのやら。

個人的には、人を殺して反省すらしない奴は速やかに殺して犯人の生存にかかるコストも含めて削減した方がましだと思うけど。

これって校長が現場を把握していないってことかな

炎上しているこれ(以下、引用部にある太字は私によるもの)

media.housecom.jp

三郷市立彦郷小学校の鈴木勉校長によると、データベース化を行うことによって、児童ごとの読書傾向を学校側が把握できるようになり、今どんな本を読んでいるのか、あるいは1ヶ月で何冊の本を読んでいるかなどを的確に把握できると言います。

そしてそれらのデータ資料を担任の先生に配布することで、個別指導を行ったり、時にはオススメの本を推薦することもできるのだそうで、このことに関して鈴木校長は次のように述べていました。

「『本を読みましょう』とクラス全員に向かって訴えても、なかなか効果は期待できません。それよりも、一人ひとりの読書傾向を先生が理解した上で指導すれば、児童の読書意欲も随分と上がってくるんじゃないでしょうか。」

 これが図書館の自由宣言に抵触するということで問題視されたわけですね。

図書館の自由に関する宣言

 読者が何を読むかはその人のプライバシーに属することであり、図書館は、利用者の読書事実を外部に漏らさない。

 図書館の自由宣言とか今回初めて知りましたよ。

ちなみに、

一方で、彦郷小学校では児童の読書量が増えるに従って、自分が好きな本ばかりを読むなど、児童たちの読書傾向が偏るようになったため、その対策として「読書ビンゴ」を導入しました。

media.housecom.jp

という記述もあったので、私はこの学校が読書傾向の偏りを問題視して読む本を指導しているんじゃないかと思ったわけです。それ憲法内心の自由とか侵害してないかと。

第十九条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

e-Gov法令検索

自分も子供のころは大量に本を読んでいたけど、基本的に好きなジャンルに偏ってたんですね。好きでもないジャンルの本を読むのを強制されたら、苦痛でしかないよなあと。

国語の授業で詩を習った時に「図書館で好きな詩人を見つけてきて」という課題が与えられて、おかげで会津八一という詩人のスタイルに出会えたので、ジャンルを分散させる指導ってのも悪いことばかりではありませんが。つかそのくらいなら国語の教科書にある分だけでもよくね?私が最初に会津八一を知ったのも教科書だもんね。(全部ひらがなだから気になってた。図書館で本を借りてその作詞スタイルが好きになった。)

私は図書分類2号7号8号はほとんど読まなかったのでそれ強制されたらいやだなあと。

それに、ある期間に読む本って普通に偏るんですよ。一時期推理小説ばかり読んでましたし。マイブームの真っただ中にいるときに横から水掛けられても迷惑だよねと。

 

 

で、無事炎上したところで続報が入りました。

「担任に伝わる情報は、それぞれの本の貸出回数と、そのクラスの各児童がどれくらい本を借りているかといった数値だけです。児童が読んでいるジャンルや本のタイトルなどの具体的な内容は伝わっていません」 

「個別指導というのは、貸出冊数が極端に少ない児童に『できるだけたくさん本を読もうね』『頑張ろうね』などと声をかけることです。読む子は放っておいても読みますが、読まない子はまったく手に取らないので」

「市が決める『三郷市おすすめの本100冊』というリストがあります。卒業までに読もうね、と推奨されている本のリストなのですが、その中からこれはどうか、と勧めています」

news.careerconnection.jp

鈴木校長は、「読書傾向を把握、というのは私の言い過ぎだったと思います。誤解を招いてしまって申し訳ないと思いつつ、どのように訂正をしたら良いのか……。方法を検討しているところです」と話していた。 

 とのこと。

なんか元記事に書いてることと随分かけ離れてますねと。悪意を持って見れば、

「その弁明、矮小化しようと嘘ついてない?」

って思ってしまいます。特にここのところ。

一方で、彦郷小学校では児童の読書量が増えるに従って、自分が好きな本ばかりを読むなど、児童たちの読書傾向が偏るようになったため、その対策として「読書ビンゴ」を導入しました。

media.housecom.jp

よくよく読むと、「お前これ読め」みたいな話じゃないんですよね。異なる文脈の話をこちらが無意識に関連付けてた。まあ、記事の文脈からはそう受け取りやすいという話でもあります。

 

これ、ライターが適当だったのかというと、そうでもなかったようで、

とのこと。

 

まあ、市役所が学校現場の指導の内容を知っているわけないし、また市役所の担当者も私みたいに図書館の自由宣言とか知らんかったんだろうなと。

で、図書館司書は多分図書館の自由宣言を知っていると思うので、たぶん私らが懸念したような指導が行われそうになったら抵抗すると思うんですよ。最近は図書館司書の地位が不当に低く扱われててどれだけ意見ができたのか、意見が通るのかという心配はありますが。

 

で、この問題、たぶん校長が現場をろくに把握していなかったってことなんじゃないかと思ってます。

この記事、現場の教師の話も子供の話もないじゃないですか。現場の教師がチェックしたら、「いやいや、子供が何読んでるかなんて把握してないっすよ」ってなってたのではないかと。

まあ、実際のところどうなのかは、現場の司書、教師や子供たちへの取材結果がないと分かりませんわな。

 

この炎上のおかげで関連する情報がいろいろ得られたのは良かったと思います。

http://www.jla.or.jp/portals/0/html/jiyu/yamaguchi_s_20131122.pdf

この問題を他山の石としてみるならば

記事を書くライターが図書業務に明るい人であれば、取材時点で問題を見つけて学校による児童への思想信条への介入、という視点から取材を深められたんだろうけど、実際はど素人だった。

また、取材を校長のみで終わらせてしまって、現場の声は聞かなくてもいいやと記事をしたためてしまった。現場の教師がこの施策にどのような手ごたえを感じているかなどを取材していたら、記事はさらに深いものとなっていたはず。考えてみれば3流週刊誌でも周辺の人たちへの取材はかなりやっているよね。

関係する人たちへの取材というのは重要なんだなというのが分かります。

この視点で問題の記事を眺めてみると、街や学校の写真などでそれっぽく整えてはいるものの、実際にはこの記事は校長へのインタビューしたレポートに過ぎないのではないかとも思えます。

(他にも「本を読まない」という問題提起に使用している情報も実際には「Webや電子書籍は読むが、紙の本を読まない」という話でしかないなど、粗が目立ちます。質的には個人のブログと大差ないのかなと。)

 

Web屋をやっていると、記事を書くことも多々あるわけですが、「これ実は違法だったり問題だったりしないだろうな?」という点にはかなり気を使います。関連情報を調べていると、あまり公にはできないなという場面にも出くわします。

文章を書くことは誰にでもできるけど、何かを取材して書く、ということは軽々しくできるものではないのだなと。この辺、デザイナーの仕事が簡単そうに見えて実は大変というのと通底するものがありますね。

ちゃんと謝罪しても叩き続ける人たち

の見本市的な。

はてなブックマーク - 「女性エンジニア」発言についての私的見解 - 科学と非科学の迷宮

まあ、昔の自分もこうだったなと。気持ちいいよねー、そうやって叩き続けるの。酒で酔っぱらったのと同じで、タガが外れるんだよね。反省を表明している相手なら、殴り返される心配もないし。

「炎上を煽ったお前も辞職しろ」、って炎上を煽っている人。まずあなたがお手本を示してはいかがだろうか。

それで謝罪と言えるかぁ~!的なコメントもたくさんあって。まあ、気持ちは分かるけど、どんな文章でもその気になればいくらでもあら捜しできるからね。「本心じゃないだろう」とか勝手に内心を決めつけることも含めて。それやばい領域。

 

Twitterにしろはてブにしろ、字数制限の中で意思表明する場合、半ば無意識のうちに”自分の感情が伝わりやすいように”と強い表現を使いがち。元ツイートもこれらのブコメも。

 

まあ、ブログでも気を付けないと長文にわたって強い表現になるので注意深く丁寧にやってかないといけないのだけど。頭に血が上っていると特に、ね。

おれのかんがえやすむににたり

危機管理の基本は常に「敵」に逃げ道を残してそこに誘導し、武力を使わずに問題を解決すること。これこそが真の意味での勝利と言える。

確かに武力行使は外交の延長線上にあるものの、実際に戦争になればそれは双方に死者が出ることを意味し、軍事的に勝利したところで政治としては敗北である。

この原則にのっとって現状を観察すると、ドイツのメルケル首相が話し合いを促すのは正しく、日本の安倍首相やアメリカのトランプ大統領のように、話し合いは無駄だとして話し合いのテーブルを用意もせず、経済制裁の強化と軍事的圧力を強めることしか行わないのは間違った危機管理である。

 

では、どういう状態が最も望ましいのか。

なによりも、北朝鮮の非核化が世界と北朝鮮にとっての勝利となる状況を整えなければならない。

非核化が北朝鮮勝利となる条件にするには、北朝鮮が完全・確実な非核化を実施すれば、アメリカは北朝鮮を攻撃しないと確約しなければならない。

アメリカはこれまでアフガニスタンイラクリビアパナマ等で行ってきた軍事攻撃を行ってきた。これらの実績から、アメリカは北朝鮮から、反撃できない弱い国に対しては軽々と主権を侵害し、国民を殺害する危険な覇権国家であると認識されている。

自国を守るためにはアメリカに反撃できる能力を持っていることを示さなければならず、そのために最も有効な手段が核ミサイルなのである。そのため北朝鮮これまで手段を択ばず、国際社会を騙してでも核開発を行ってきた。

この状況を変えない限り、北朝鮮は決して核武装を放棄することはないだろう。

 

アメリカが核を完全放棄した北朝鮮に対し軍事攻撃を行わないという確約を行えない場合、戦争を回避するシナリオは、今の北朝鮮核武装国として認め、その抑止力によって国際社会は北朝鮮への軍事攻撃を行わないという状況しかない。すなわち、北朝鮮が要求する通り、北朝鮮核武装国家として扱うことを認めることである。

これは、北朝鮮にとっては完全勝利、国際社会にとっては一部敗北を意味する。極東に冷戦状態が発生することを容認し、戦争による死者が出ないことだけが唯一の慰めとなる状態である。

戦争を行わないのは十分大きな成果であるが、北朝鮮による数多の人権侵害、主権侵害を解決できないという点で無条件に喜べるものではない。

 

北朝鮮はこれまで、世界中の一般市民を拉致、監禁し、自国のスパイを養成するための語学教師などとしてきた犯罪国家である。金正恩体制になってからはさらに凶悪性が増しており、政敵とみなした自身の兄を他国で暗殺したり、北朝鮮の体制を批判した韓国の記者に対し、勝手に自国で裁判を行い、死刑(という名の暗殺宣告)を行っている。

これは他国の主権を明確に侵害している。このような北朝鮮核兵器を維持し、核武装を国際社会が認めるということは、北朝鮮による各国でのテロ、暗殺、その他の人権侵害および主権の侵害に対して国際社会は水際防御以外何もできない、ということを意味する。

それでも一応は安定した状態であるので、例えば北朝鮮の関係者を入国禁止にするなどの措置で一定の防御を達成することはできるだろう。

 

国外にいる外国人に対して殺害を宣言するのは、過去にタリバンなどのイスラム原理主義組織が行ったが、それらは国家としての正当性を認められることはなかった。

北朝鮮がこれら原理主義テロリストと同様のことを行っているにもかかわらず、その体制が国際社会から認められるということは、核さえ持てばテロリストでも国家として認められるという前例・実績となる。

このようなルールが認識されてしまったら、ISなどのテロ組織はどうするか。なんとしても核兵器を手に入れて自組織を国として認めさせようとするだろう。これは国際社会が行ってきた核不拡散政策の敗北である。

国際社会の矛先を他に向けさせたい北朝鮮としては、ISなど他国で活動するテロ組織や内戦中の国家のいち勢力に対して核兵器を提供するという戦略をとることも可能である。

 

このような状況を防ぐためには、朝鮮半島の非核化が最低限のラインであり、国際社会は北朝鮮に対して核の完全放棄と体制の維持がセットであり、核を維持する限り体制の維持は保証しない、という条件を突きつける必要がある。

アメリカに対しては最低限、核の完全放棄に対して北朝鮮への軍事攻撃の停止を飲ませる必要がある。交渉によっては軍事訓練も含む威嚇の停止も含まれるかもしれない。

北朝鮮に対しては核兵器の押収、核関連施設の解体と各設計図面の廃棄などを飲ませる必要がある。これらは中国などを主体とした国連軍の監視下で行うくらいの強制力が必要だろう。

 

問題はこの条件を北朝鮮が飲むかどうかだが、・・・まあ突っぱねるだろうなと。もう少し時間稼ぎをして、アメリカ本土の近くまで飛ぶミサイルを開発して、本当にやばくなったらデモンストレーションでカリフォルニア沖で実際に核爆発を見せれば黙るだろうくらいの事は考えていそうだ。

 

当面は経済制裁の強化の水準になるかもしれないけど、戦争になるのは時間の問題のように思える。スイスが仲介に乗り出すなど、完全に戦争前夜。当事者の一方が正恩より頭悪いトランプってのが絶望的。戦争回避の交渉とか準備にかかる時間を考えると、年明けあたりが最も可能性が高いか。

まあ、正恩とトランプがニコニコ笑って握手するという大どんでん返しの可能性もゼロではないのだけど。正恩がアメリカを狙わないという確約と引き換えに米北安保条約締結、というオチ。そしてノーベル平和賞がこの二人に贈られるという、ね。

自動車整備業界も厳しいようで

nlab.itmedia.co.jp

  • 給料が安い
  • 無賃労働も含む長時間勤務
  • 肉体労働
  • にもかかわらず車のIT化によって求められる技能は高度化されている

というわけで、要するにこれら全部、給料上げれば解決するじゃんという話。バッカジャネーノと言いたいけれど、それがやりにくい経営環境ではある。

そもそも自動車業界自体、人口減によって先細りであるという現実があって、いずれ整備工場もどんどん淘汰が進んでいく。

そんな中で生き残りのために整備工場が何やってるかというと、整備業務の値下げ合戦。これが一番集客に効くんだからどうしようもない。景気は回復傾向を見せているけど、それでもみんな給料安いから車の整備も安い方がいいという方向に行く。

日本車は品質が良いのでほとんど整備する必要がないってこともあるんだろうけど、それでも赤字にならないのが不思議な金額で請けている。

値下げの分、回転を速めなければいけないので整備士の負荷は上がる一方という。

 

記事中の「電気自動車が普及すればいずれ整備士がいらなくなるのでは」ってのは、あと50~100年はないだろうなと。

電気自動車は電気で動くって点で家電と同列みたいに見られがちだけど、あれだけ可動部が多くて動き回り振動しまくり雨風潮風炎天氷点下の過酷な環境下にあって不具合が出ないはずがない。

仮にノーメンテの技術開発ができたとしても、自動車メーカーはそれを使わない。

だってねえ、タイヤ一つとったって、自動車メーカーはスペアタイヤをなくしちゃってるのに、ランフラットタイヤにはしてないでしょ。だれが使えんねんっていうパンク修理キットを置いてお茶を濁してるだけ。あれうっかり使ったらホイールごとタイヤ交換しなきゃいけなくなるんだよ?

今の時代、タイヤがパンクしたら自動車保険JAFのロードサービス呼ぶのが正解になっちゃってる。むしろ整備士需要押し上げてるやん。

自動車業界的には、医療業界みたいに「外国から安い労働力を入れられるように規制緩和しろ」って言いだすんだろうなと。

 

最近は顧客囲い込みのためにどの整備工場もカーリースに手を出しているけど、これディーラーもガソリンスタンドもやり始めてて、もうレッドオーシャンになり始めてるんだよね。本気で生き残ろうとするなら、間接部門のIT化を進めて省力化して、近隣の整備工場でアライアンスを組んで間接部門を統一したり、整備士を融通しあったりして、整備士を高級で雇いつつ、労働負荷も下げられるように規模を拡大して地域寡占を進めるしかないんじゃないかと。